三日後。
 魁耶の部屋へとやって来た迂王は愕然とする。何が起きているのか解らない。理解している余裕もない。
 兎に角まず止めなければ。早く、早く、早く!
 ブツッと音がして、そこを支配していた音が瞬時に消える。
 耳の奥の痛みも引いていく。

「一体・・・・何をしているのですか!?」
 
 床に蹲った魁耶の襟首をひっ掴み、荒々しく引き寄せる。
 苦しんでいるのか楽しんでいるのか、生憎プロテクターのお陰で表情は読みとれない。
 しかし、口元には明らかに嘲笑の笑みが張り付いている。

「トレーニング」
 
一言だけボソリと言うと、手を退けながらゆっくりと立ち上がる。
 
「最大音量で音楽を聴くことがトレーニングだというのですか!?莫迦なことを言わないで下さい。
 精々、耳を壊すのが関の山でしょうにっ」
 
 迂王の言葉を聞き流しながら、魁耶は抜かれたプラグを調べている。
 どうやら断線はしていないようだ。時計さえ合わせれば、コンポも元の通りに動くだろう。

「何?」
 
カチャカチャとコンポを調整しながら、手を止めずにたった一言で尋ねる。

「・・・・・社長がお呼びです。貴方を連れてくるよう、言いつかっていますから」
 
単語以外で話せないのか、と思いながら、簡潔に用件を述べる。
MDプレーヤーをポケットに滑り込ませた魁耶は

「独りで行ける」

とだけ言うと、プロテクターを外さずに扉へと向かっていく。

「え、ちょ・・・・・・君っ」
 
止める間もなく、魁耶はまるで見えているかの如く扉を開けると、迂王を残して出ていった。




「あくまでも、視界を潰すことにこだわるのですね」
 
プロテクターを付けたまま研究所に入ってきた魁耶。
宮雪は呆れとも尊敬とも取れる声を漏らす。

「見えるものは信じない。本当のことは映さない。だから見ない。闇がいい。僕の総て、闇が僕の世界」
 
小さく、だがはっきりとした声で答えると、周りが瞬時にざわつき始める。
 『今まで殆ど話さなかったのに』とでも言っているようだ。

「成る程。それが貴方の本当の姿という訳ですか。つくづく貴方は私を楽しませてくれますね。貴方を選んで正解でした」

 いつもの見慣れた笑顔を浮かべているのだろう。心なしか、声が弾んで聞こえる。
 自分はそんなに面白い人間なのだろうか?
 そんな事をふと考えていると、背後で扉が開く気配。

「社長、対戦相手の情報が入ってきましたが」
「あぁ有り難う、迂王くん。序でと言っては悪いのだけど、説明をして貰っても構わないかな?」
「かしこまりました。本日の対戦相手は『ヘファイストス』。42歳、男性です」
「ヘファイストス・・・」
「そういえば・・・貴方には説明がまだでしたね。ゲーム中は本名は伏せておきますから、プレイヤーは愛称で呼び合うのですよ。貴方の場合、『ディアボロス』です」
 
 気に掛かるところを呟いた魁耶に向かって、本当に事務的に、迂王は抑揚なく答えを返す。
 さしずめ、敵意剥き出し、というところだろう。

「今回のフィールドは少々遠方なので、そろそろ出発しましょうか。嶺平サン」
 
 書類を宮雪に渡しながら、視線すら外したまま迂王は言う。
 それに無言で立ち上がると、ゴトリとデリンジャーをテーブルの上に置いていく。

「持っていかないのですか?折角お気に召して頂けたと思ったのですが」
 
 宮雪の方へ顔を向けると、デリンジャーを持ち直しそのまま彼の方へと近寄っていく。
 デスクの前に立ち止まると、手にしたデリンジャーを差し出した。

「今日は必要ない、体を慣らすだけ。そんな事に“彼”を使いたくない。だから」
「・・・・・預かっていて欲しい?」
 
そう言って受け取ると、魁耶はフッと微笑んだ。

「解りました。私が預かっておきましょう。
では魁耶クン、頑張って下さいね。我々のために、そして、貴方のために」







 苛苛する。
 何故こんな餓鬼が、あの人に認められるのか。自分は必死に努力をして、ようやく掴んだというのに。
 つい先日来たばかりの子供に、あの方は非常に心を砕かれて。
 私は一体何なのだろうか。高々その程度の存在だったのだろうか。
 あの方にとって、私は---------------。
 彼奴など、死んでしまえばいい。今すぐにでも。

 





 躯中が歓喜に震えている。
 やっと楽しめる。
 あとほんの少し、あのランプが点灯すれば解放させることが出来る。
 自分の中に眠る、狂気の精神(マインド)を。







 使われていない廃屋。壁は殆ど崩れ落ち、隔てているものは、一階と二階の間の床だけである。
 此処がフィールドとして選ばれた。
 都心からも遠く、周りに民家もない。例え銃声が響いたとしても、人の耳には届かない。
 プレイヤー以外は建物に近づくことは禁ぜられた。そこ此処に取り付けられたカメラからでしか、中の様子は解らない。
 それにしても、付け焼き刃にしてはなかなかしっかりとフィールドの準備が整えられているようである。映像も鮮明であるし、音も拾える。金を掛けるだけの事はあるようだ。
 そんな事を考えている内に、ゲームの幕は切って落とされた。
 まず、ライバル会社の駒を探す。一階には・・・いない。続いて二階。よく目を凝らすと、確かにいた。窓に近い部屋の隅。微かに動く、黒い物体。どうやら魁耶はまだ外にいるようで、しきりにチラチラと窓を覗いている。

 やがて。
 静寂を破るように、入口のドアが破壊される。
 砂埃が舞う。物の砕ける轟音と、軽快なリズム。MDのヘッドホンから漏れた音は、異様なほどによくこだまする。
 口元に笑みを張り付けた魁耶が、全身を使って建物を破壊していく。
 
 言うなれば、修羅。
 破壊と殺戮と闘争の邪神。
 満足げにはぁっと息を吐くと、破壊の限りを尽くした邪神は、ゆっくりと上への段を踏みしめる。

『・・・・・かくれんぼは終わりだよ』
 
 幼子のような無邪気さを湛え、魁耶は狂喜の声で言う。

『見ーつけたっ』
 
 途端に走り出した魁耶は、相手を隠していた瓦礫に拳を突き立てる。

『・・・チィッ!!』
 
 あの細い腕の何処にそんな力があるのだろうか、積もっていた瓦礫は四方へ吹っ飛んでいく。
 相手は面倒くさそうに舌打ちをすると、懐から拳銃を取り出す。パスンッっと撃ち放たれた弾丸は、魁耶の頬を掠めて後方へと飛んでいく。
 サイレンサーか。
 確かにこの暗闇の中、音もなく拳銃など撃たれたときには堪ったものじゃない。咄嗟の判断もしにくいかもしれない。
 だが、例えサイレンサー付きだったとしても、今の魁耶には関係ないだろう。
 何のために視覚を犠牲にしてきたのか、それなくして魁耶に勝利は成し得ない。
 相手は銃を構えたまま様子を窺っているが、魁耶は頬に流れる生暖かい感触を手に取り、ペロリと舌先で掬い上げる。
 ゾクッと震える、小さな躯。
 
目覚めていく。

『こんなんじゃ駄目。満足なんか出来ない。もっと・・・もっと頂戴?君の紅い血を、僕に見せて・・・・』
 
言うが早いか、魁耶は相手の背後に回り込んでいる。虚をつかれた男は、そのまま無様に床に倒れていく。

『・・・・っの、クソ餓鬼がぁ!!!』
 
両手で受け身を取り、反動で低めの回し蹴りを食らわしていく。まともに横っ腹に入り、魁耶は床に叩き付けられる。
 立て直す隙を与えずに、男は魁耶に馬乗りになる。片膝を鳩尾に宛い、右手は首もとを掴んでいる。

『巫山戯たマネしやがって。粋がってんじゃねぇぞ!?万事休すじゃねぇか、糞がっ!』

 ヘッヘッヘッと汚らしい笑みを浮かべ、右手に力を込める。
 ・・・・終わったな。

『・・・・・まだ足りないんだヨ』
 
 一瞬の油断が命取りになる。床に着いていた左手を、魁耶が勢いよく払った。
 ボギリ、と。マイクを通しても鮮烈に聞こえる、骨の砕ける音。

『ひ・・・ぃ、ぃぎゃぁぁぁぁっ??!』
 
 おかしな方向へ折れている腕を押さえて、男はよろよろと壁に背を預ける。
 肉から折れた骨が突き出し、ボタボタと血が溢れ出る。
 恍惚の表情でそれを眺めながら、頽れそうになっている男の躯を、魁耶は両手で支える。
 ギュウッと力を込めれば、男はヒクッと痙攣を起こす。圧迫感に顔が朱に染まっていく。

『ああ、あったかい・・・・・』
 
 恐怖と息苦しさで藻掻き続ける男の躯に、魁耶はすりすりと頬を擦り付ける。甘えた猫のように。

『もっと欲しいんだ。くれるよね?アノ人がね、好きなだけ浴びていいよって言ったの。だからね・・・・・』
 
 掌を窄めた瞬間。

『頂戴?』

-------ゴキンッ!!

『っ???!』
 
 鈍い砕ける音。悲鳴を上げる間もなく、堕ちていく。
 切れた頸動脈から血が噴き出し、魁耶の躯を紅く紅く、染め上げていく。

『あはははっ!すごく気持ちいいよ。もっと、もっと僕に頂戴!アハ!アハハハハハ!!!』
 
紅くぐちゃぐちゃになった躯を掻き抱きながら、魁耶は無邪気な笑いを上げ続けていた。










「どうでしたか、魁耶くんは?」
 
モニターのスイッチを切ると同時に、笑みを浮かべた顔が部屋へとやって来ていた。

「何も変わらない。今も昔も、私の知っている魁耶のままだ」
 
 椅子から立ち上がると、彼の立つ扉へと歩を進めていく。
 躯は道をあけているのに、腕は反対側へと伸ばされ行く手を阻もうとする。

「貴方が何故、魁耶くんに‘ディアボロス’という名を付けたのか、解った気がしましたよ。あれ程までなら、私にも得心がいきます。モチーフは、そうですね・・・まさに戦場の鬼神(ディアボロス)、というのに相応しい。そう思いませんか、城白くん」
 
 クスクスと可笑しそうに笑いながら、彼は伸ばした腕をようやく放す。 
 一瞥をくれると、モニター室を後にした。

「その鬼神(ディアボロス)が、いつか光(バルドル)に変わる・・・・必ず」










 血で汚れた躯を清めされられ、部屋に戻ったときには意識は虚ろだった。
 ベッドに入る事もせずに、そのまま床へと倒れ込む。
 緊張していた躯が、ゆるゆると弛緩していく。

「・・・・・・寒い・・・・・・」
 
 震えが止まらない。躯中から血の臭いが、死臭がする。
 先程の行為が、薄れていく意識を擡げる。
 恐悸の表情で肉塊へと変わっていった人間。
 殺したのだ。自分がこの手で、殺したのだ。

「ぁ・・・・・・あぁ、い・・・や・・・・厭、厭ぁあぁぁぁぁあぁあぁあぁ!!!」

 忘れなければ。
 心の奥深くに眠る常軌が、再び目を覚ます前に。
 忘れるのだ。永遠に封印してしまえばいい。
 今日からの行為も、魁耶(オリジナル)の意識も---------。






「だから、魁耶が次に目を覚ますのは、金曜の夜だと言っているだろう」
 
これ見よがしに溜息を吐きながら、男はコンピュータと対峙している。

「しかし、ゲーム終了の度に一週間眠り続けるなど、正気の沙汰ではありませんよ!
今はまだ2試合目まで弱者でしたから何とかなりましたが、勝ち進んでいけばいずれ当たるのは強者です。
そろそろ本格的にトレーニングを始めなければ・・・動かさなければ躯も鈍る一方でしょう?
 我々の命運は彼の腕に掛かっているのですよ!?彼は負けてもそれで終わりで済みますが、後に残された私達は・・・・」
 
詰め寄るように訴えていた迂王は、ガタンッと椅子を倒して立ち上がった相手に、言葉を詰まらせる。

「では何か?貴様は今すぐにでも魁耶を叩き起こし、本人が望みもしない鍛練を積ませ、金曜のゲームに疲れた躯、あまつさえ精神不安定な状態で出場させろと言うつもりか?そこまでして魁耶を殺してやりたいのか?」
「っ!?そんな、私はただ・・・・!」
「あれは眠りながら崩れかかった精神を立て直している。その時の邪魔をするなど巫山戯たことを。
 此処にいる人間の中で、魁耶のことを一番に知っているのは私だ。宮雪の犬同然の貴様に口出しされる筋合いはない。不愉快だ。
 解ったのならさっさと出ていけ。此処は貴様のような犬が立ち入っていい所ではない」
「何を・・・・っ貴方、失礼でしょう!?よく知りもしない他人に向かって『犬』などと・・・・っ」
「『他人』だから言っている。私の近くにいる人間で、貴様のように差し出がましい事をするような者は、とりあえず独りもいない」
「ちょ・・・・・・城白さ」
「・・・・二度と此処へは来るな・・・!」
 
吐き捨てるようにそう言うと、男は迂王を引き摺り部屋の外へと突き飛ばすと、無情にもロックを掛けた。









「女」
 
 ようやっと起き出した魁耶は、対戦相手の情報を耳にすると、この言葉を繰り返した。
 相手は女。それも自分より恐らく10は年下の少女。
 相手にするのは意識(データ)に従っても多分、初めてだろう。

「女子供には手を出さない主義、とでも?」
 
 弾んだ声で棘のある言葉を掛ける宮雪に、無言で首を横に振る。
 MDプレーヤーのヘッドホンを付けると、

「“彼”を」
 
 と言って左手を差し出した。暫く無言の沈黙が続く。
 フッと笑いが洩れ、ガタタンという引き摺る音が続き、左手にずしりとした心地よい重さが加わる。
 握り締めると、金属の冷たさが気持ちいい。
 思わず笑みが零れてしまう。

「お帰り・・・・」
 
堅く堅く抱きしめ、実弾(心臓)を二発装填すると、パーカーの内側へとしまい込む。

「ようやく・・・お出ましですか」
 
そう呟いたときには、魁耶は部屋から姿を消していた。





    3へイク