彼に対しての想いが、友人から親友に変わった、あの時ほど嬉しく感じることはもう無いと思っていた。
だけど、まるでそれは来るべき事であったかのように当然と、俺の胸の内(なか)に生まれた。
そして俺も、不思議とそれに嫌悪感はなかった。前よりも強い喜びがあった。
焦りも不安も何もかも、その想いには勝らなかった。
彼が俺のことを少しでも気に掛けていてくれる、それだけで良かった。
他には何も望まない。
俺の名を呼んで、心配そうに覗き込んでくれる瞳があって、俺に笑い掛けてくれる彼が其処に居てくれれば。
俺は一人でも生きていかれたのに。
何を犠牲にしても、何を失っても、構わなかったのに。
だけど彼は、彼に必要とされていたのは、俺じゃなかった。
彼に連れられてやって来た新しい下宿先には、綺麗で優しそうなお嬢さんが居た。
彼と同じ家で同じ時間を共有できると、そんな些細なことで喜んでいた俺は、一瞬にして地よりも深い処へ叩き落とされた。
俺がその家へ越したことによって、彼の中を大いに占めていた俺の存在は、だんだんと薄れていくようだった。
それを補うように、否、それを消していくかのように、彼の中には新たな存在が現れていた。
それが何なのか解らぬほど、俺も鈍感ではなかった。
彼に房州への旅行を誘われたときも、微妙な気分だった。
彼は俺を誘っておきながら、終始別のことを考えているようだった。
ただ一つ解るのは、それは俺の事じゃない、それだけだった。
俺以外のことを考えているのが許せなかった。
彼女と親しくしている彼を、見ていたくなかった。
ただ、この旅行に来ている間は彼女と離しておける、そうして俺だけが独占出来るんだと、それだけが救いであったのに。
こんなに独占欲が強いなんて思わなかった。
苦しかった。彼の中で消えていく俺が、悔しくて憎くて、悲しかった。
何故、彼女なんだ?どうして俺じゃない?
彼女よりもずっと前から傍にいるのに、想ってだっているというのに。
どんな手を使っても良い。彼の中に『俺』という存在を留めておきたかった。
常に俺のことを考えているように、俺だけを意識しているように。
その為になら、どんな莫迦げた嘘でも口に出来た。
「俺・・・・・お嬢さんのことが、好きかもしれない」
ああ、やっぱり。君はこれで俺のことを忘れられなくなる。
彼が意識している。
それが堪らなく嬉しかった。
それでも、こんな事をして何になる、お前の想いは異常なんだと、何処かで叫ぶ声が聞こえていた。
解っていた。だんだん想いは強くなり、狂気へと変貌していくことを。
彼を失いたくなくて、縛り付けてでも傍にいさせたくて。
焦がれるように彼を欲するのを・・・・何処か、冷めた目で見ている自分も居た。
そんな二つの間で、本当はどうすればいいのかなんてはっきりしなかった。
「苦しいんだ・・・・・・・」
自覚は既に言葉として現れた。彼の前で弱い自分は見せたくなど無いのに。
そんな俺を、君は敵として射抜きながら、言ったんだ。
「精神的に向上心のない者は、莫迦だ」
焦がれても焦がれても、どんなに望んでも手に入れられない。
高嶺の花を望むほど、愚かしいことはないと言うのに。
「剛・・・・・・・・・・俺は・・・・・・・・・」
言ってしまおうかと思った。
そうすれば楽になれる。
花など簡単に手折れるのだから。
だけどもし軽蔑されたら?今この瞬間に、彼の中から存在を消されてしまったら。
恐ろしかった。消えたくなかった、消されたくなかった。
例え憎まれ役でも、彼の中にいられるならそれで良い。
やまめてくれ、もういいんだ。
この想いを、君は諦めろと言うのか。
そんな覚悟なんて---------
『高嶺の花を望むほど、愚かしいことはない』
彼の中にだけでも、俺の存在を。
永遠に残る方法で、刻みつけてしまえばいい。
手に入れられないなら、せめて傍にいるだけでも。
傷つけてしまおうと思った。
心も躯も一遍に、押さえつけてズタズタに。
そうすればもっと鮮烈に、彼は俺を刻みつけるだろう。
良い思い出なんかじゃない、心の闇となるように。
どんなに幸せになっても、闇は消え去りはしない。
だが所詮は弱い人間だ。
汚すことなど出来なかった。
俺が一番、汚れぬ事を望んでいたから。
「いや・・・・少し気になってな。起こしてしまって悪かった。じゃあ・・・・・」
一度は諦めようとも思った。
今ならこの想いも殺せると、本気で握り潰そうとした。
俺の内の彼を汚してしまえば幻滅もするだろうかと、一縷の望みも掛けてそうしたのに、日を追う毎に彼の存在は鮮烈になっていく。
歪んだ欲望は留まることを知らない。
一夜毎に、俺は夢の中で彼を陵辱した。
何度も何度も、俺は彼を辱めた。
そうしてどれ程彼を犯したか解らなくなったとき、俺は最後の打撃を受け・・・・・最後の決断を下した。
簡潔に手紙を書いた。
無意識の内に必要なことを一言で終わらせて、必要のない者は一切切り捨てた。
生涯親友であり幼なじみだった彼と、最後までお世話になってしまう奥さんと。
親も養親も、勿論彼女など総てを捨てて、この二人だけに。
手に入れられないなら、せめて傍にいることだけでも。
一番近くで、彼の中に俺の存在を。
この姿を一番初めに見つけて欲しいから、わざと襖は開けておこう。
そうして刻み込むんだ、忘れさせはしない。
彼女なんかに、君を渡しはしない。
何時か必ず、君は俺の元へと来るだろう。
その時君は、俺の事しか頭にない筈なんだ。
俺を想い、嘆き、苦しみ、総てを捨てる。
これは俺の罠。彼は填り込む以外に術(すべ)はない。
楽しみだね。
ずっと待っているよ、君が俺の元へやって来るまで。
早くおいで、剛-------
光一くん、大丈夫かな・・・?
自分で書いていて恐ろしくなります。