「すみませんでした」
 
 項羽と范増が女将に連れられた「帷(い)の間」に入った数分後、劉邦・張良はやって来た。
 そして発せられたのが土下座付のこの第一声である。

「えらく平謝りだな。もっと何か前置きはないんかい」
「本日は謝罪を目的としております故。いくら我々が探していたホシを見つけたと言っても、よく調べもせずに実力行使に移したのは誤りでした。他の組の系列ならばまだしも、まさか項羽殿からまでとはつゆ知らず・・・。それさえ知っていましたら貴殿にもお知らせ申したというのに。全てはこちらの非であります故、貴殿が契約を破棄せよと申されますならば、喜んで手放しましょうぞ。しかしながら、我が社の財政は大きく傾き掛けておりまして、一分の猶予もございません。それ故、どうしても必要だったのです。どうして項羽殿を差し置いて咸陽(ノルマ)など達成できましょうか。ノルマをクリアしようなどとは砂の欠片も思っておりは致しませぬ。ですからどうか後生ですので命だけは・・・・・」
「あ
-------! 解った、解ったから。もういい、劉。顔を上げろ」

 床に額を着けたまま、つらつらと吐き出される劉邦の言葉。
 延々と続くかと思われたその謝罪の意は、項羽のうんざりした声で停止が掛けられた。
 劉邦を嘲笑と共に見下ろしていた范増は、項羽のその言葉に目を点にする。

「なっ、おい項羽!てめぇ、もう許してやるつもりか?!」
「こんなに必死に謝ってんだ。これ以上はもういいだろ。はっきり言うと、何言ってるかさっぱりだしな。それに、劉からそんな言葉聞きたくもない」

 ブスッ、とふてくされた顔をする項羽。何故こんなにまで機嫌が悪いのか、范増には解らない。
 其れこそが劉邦の策だった。
 項羽はお世辞にも知識があるとは言えない。少しでも解らない言葉があると其処からフリーズしてしまう。
 そして、項羽は劉邦の親友で彼とは同等でいたいと思っているのだが、明らかにその立場は、例え其れが微弱であっても項羽の方が上に行っているのである。
 劉邦としては子供の頃の様に接し得ない時が多々あるのだ。口調は正さねばならない。
 其れが項羽は嫌いなのだ。それ故、こういった場面では彼の機嫌はすこぶる悪い。
 悪いとは思いつつも、劉邦は其処を利用した。
 項羽がよっぽどの理由もなく人を殺す様な残忍な事をする筈がない。注意が必要なのは范増なのだ。その范増を抑えるには、項羽の力を借りるほか無い。

「劉も張良も気にしなくて良いぞ。譲り合いの精神はまぁ必要かもしれんが、今回の事は別だろぅ?それよりも、折角美味そうな料理があるんだ。食べないってのは失礼じゃないか?」
「うん。そうだね、項くん。御免ね、ありがとぉ」

 昔の名を呼んで微笑めば、向こうも笑顔を返してくれる。

------- 嗚呼、いいなぁ。幸せだなぁ(しみじみ)

 張り詰めていた空気が解け、項羽と劉邦、お互いがそう実感しながら鍋をつつく。
 そんな素朴だが温かみ溢れる二人を慈愛の瞳で見守っていた張良は、一瞬、范増へと視線を移し、そしてフンッと鼻を鳴らして口元を歪めた。

------- 残念だったな。所詮、貴様に我らが主を潰すことなどあり得んのだよ。

 その瞬間の笑みに、そういった一連の意味が込められていることを范増は悟り取った。
 勿論、腑が煮えくり返らない訳がない。
 呑気に鍋をつつき合っている三人を、明らかに引きつった笑顔で見つめる范増。
 思いは唯一。

------- お前等全員、逝って良し☆


「だぁから、別に良いっつってんだろ?そぉだよ、其れだよ。今すぐだ、解ったな?!」

 呑気な三人を部屋へと残し、范増はトイレの個室で電話を掛けていた。
 取り敢えずあの項羽では使い物にはならない。ならば、次の策を講じるほか無かった。

「しっかし、まさかこんなに早く発動させることになるとは・・・・。項羽の野郎、事務所に帰ったら叩き倒してやるっ」

 チッと舌打ちをしつつ個室から出ると、、呼び寄せた者がやって来るのを待つ。
 暫くすると、黒いサングラスを掛け黒い服を着、イヤホンを付けたいかにも〜な男が入ってくる。
 男は一度会釈をすると、出口を開けて范増を招き出した。

「持ってきたか?」

 軽く見上げる形で問うと、男はこっくりと頷いた。
 それに妖しい笑みで答え、范増は男を従え部屋へと戻る。

「そろそろ満腹にもなってきた処で、ちょっとしたゲームなどやってみないか?」

 部屋に入るや否や、三人へ向けてそう尋ねる。
 劉邦と項羽は互いに顔を見合わせ、張良は范増の後ろへさっと視線を流す。

「そんな話は聞いていなかったが」
「一体、何をたくら・・・・・・行う気デスか?」

 箸を置きながらの項羽と張良。危うく本音が走るところだったが、何とかカバー。
 黒服の男、項荘を招き入れながら、范増は高らかに言い放つ。

「ロシアン・ルーレット・・・・!!」

 その声に合わせて項荘が取り出したのは、M19コンバット・マグナム。

「へぇ。面白そうだねぇ。僕はやってみたいけど」

 さして深く考えず、劉邦はおっとりとした口調で賛同する。
 立ち上がって項荘から銃を見せてもらうと、其処にはきっちり実弾が装填されている。

「コレ全部装填されてるケド、ちゃんと抜くよね?」
「もちろん。全部入っていたらゲームが成り立たないだろーがよ」

 何を莫迦なことを、とでも言いたげな顔つきである。
 差し出す劉邦から范増は銃を受け取り、装填されている弾を確認しようとした処で、


-------バンッ!!  パリンッ


 劉邦の頬すれすれを、一発が掠め通っていく。
 すぐに血が滲む。

「あぁっと。スマン。どうやらハンマーがフルコックになっていたらしい」

 ハンマーダウンのポジションになっているハンマーをセーフティコックに戻しながら、にこやかに口述する。
 悪びれた風など欠片もない。

「危なかったねぇ。僕が動かしちゃったのかな」
「劉、血が出てるぞ。是で拭け」
「うわぁ、窓割れちゃった。店の人に何て言おうか(>_<;)」

 のんびりしている劉邦とは反対に、張良は内心すこぶる焦っていた。
 范増はマジである。その証拠に、劉邦から受け取った時にフルコックにした事も、外れた直後の悔しそうな顔を張良は見逃さなかった。
 何とかしなければ。だがどうやって?生憎、手元に銃などはない。有るのは箸や蓮華、よくて鍋やガスコンロ。蓮華でどうしろと言うのか。

「劉邦がやる気なんだから、勿論、項羽も張良も参加するんだろ?」

 テーブルを動かし、早速準備に取りかかる范増。
 其れを手伝う項荘。
 うやうや考えている場合ではない。

「そ・・・・其れは6連発式でしょう?此処にいるのは項荘さんも含めて5人しかいないデスよね?全員外れる、なんて冷めてしまいますから私がもう一人、呼んで参りましょう」

 さり気ない言い訳で立ち上がると、一旦部屋から外へ出る。
 劉邦を一人残してきたのが気になるが、項羽の手前、殺りたくても流石に出来はしないだろう。あの范増ならば尚更だ。
 取り敢えず、自分が出来る事をやらなくては。

「張良だが、外に待機しているか?そうか、では何か身を守れるような物を2・3持って帷の間へ来なさい。うん?あぁ、劉邦さんが危ない。出来るだけ急いで」

 ピッと電話を切ると、1分もしない内に出入り口付近から此方へ足音が近づいてくる。
 彼の姿を確認すると、張良は大きく頷いた。
 彼も頷き返し、そのままの勢いで扉に突進する。

劉邦さぁぁ----------------------------ん!!!!


-------スパァーン!


 外れる勢いで引き戸を開けると、劉邦は項羽と范増によって組み敷かれていた。

きゃ------てめぇら、劉邦さんに何と言う事をー!この野蛮人!不潔!!」

 二人を蹴散らしながら劉邦を抱え上げると、ガクガクと肩を揺すぶる。

「劉邦さん、大丈夫ですか?ナニかされてませんかっ?うわっ、俺ってばナニかだなんて厭らしいっ」
「あ、樊かいじゃないか。どうしたんだぃ、こんな所で?」

 暴走気味の樊かいと、のんびり屋な劉邦。彼ら二人がドッキングすると事態は必ず収拾のつかぬ方へと進んでいく。張良がいたとしても正規の道へ正す事は簡単ではない。
 出来れば一緒にいさせたくはなかったが、是でも劉邦専属SPを勤めるだけの実力はある。今の事態では背に腹は代えられない。

「樊かい・・・・ってあの『熱血!体育同盟』の広報に載っていた樊かいかっ?!」
「え?・・・あぁ!あんた、まさか『月刊スポーツMAX』の陰の編集長、項羽か?!」

 誰もが思った『同盟名が痛い』とゆーツッコミはしないでおこう。
 と言うか、やくざやSPの立場で名前が知られているとはいかがなものなのか。

「いや、お前は凄いぞ。お前こそ本物の壮士だ。残り物で悪いが、一杯どうだ?」

 成る可く沢山入っていそうな徳利を猪口と一緒に渡すが、樊かいは徳利に口を付けて其れを一気に飲み干してしまう。
 テーブルに置いてあった生肉や魚介類も、そのまま口へと運んでしまう。

「ほぉ。喰いっぷりや飲みっぷりまで豪快だな。劉も良い奴を側に置いたもんだ」
「項くんの判断基準が凄く気になるところだけど、取り敢えず誉めて貰えて嬉しいよ☆」
「・・・・・ちゅか、普通SPの立場なら喰ったり飲んだりしねぇだろよ」

 一通りの食材を完食した樊かいへ向けて、范増が皮肉った。
 それにムッとした樊かいは、范増へと向き直り口を開く。

「勧めて頂いた物を受け取らぬのは相手に失礼でしょーが。勿論、相手を煩わせるような事も!生の肉や魚、まして酒の一杯や二杯など怖るるに足りません。劉邦さんやその御親友、張良さんなどに勧められるなら死ぬまで飲み続けても構やしません。ですが一言言っておきますがねぇ?りゅーほーさんはナニもあんた達の分まで金を取ろーなんて、考えちゃいませんよぉ!それに悪気があった訳でもないのにぃ・・・あんた達に謝ってんだぞぉ。何で良くじじょーも知らにゃいクセに殺そーとすんだ、バッキャロー!俺の前のご主人が始皇帝って奴で虎狼の心を持ってたヤツだったけどなぁ、お前等も同じやっちゅーねん・・・・あふぉんだりゃぁ〜〜〜〜〜〜・・・・・」

 始めはとても芯の通った声であったが、だんだんと弱々しくなっていく。話す本人の顔は茹で蛸同然になり、最後の方は舌も回らずぶっ倒れる。

「ぅわーっ?!樊かい、大丈夫?」
「先程の一気飲みで酔ってしまった様デスね」
「早く病院に連れていった方がよくないか?」

 項羽と張良で樊かいを支え、劉邦を先頭に一行は部屋から出口へと向かう。
 外に止めてある車へと樊かいを乗せている最中、一台の車が近づいてきた。止まった車から出てきたのは、項伯である。

「みんな、こんな所でどうしたんだ?もうお開きかぃ?」
「ああ、はっくん。樊かいが急性アルコール中毒で倒れてしまってね、今から病院へ連れていく処なんだ。君も来るかい?」
「一人で此処に残っても詰まらないからね。樊かいの事が済んだら、飲みにでも行こうか?」
「さすが、伯叔父さん。このメンバーで行ったら楽しそうだな」
「そうデスね。ねぇ、項荘さん?」

 ちゃっかり付いてきていた項荘は、はにかみ笑いを浮かべながらこっくりと頷いた。
 一方、その早さに付いていけず、しどろもどろになっている范増は部屋に残されたまま。
 項荘がいなくなっている事にも気付かない。
 そんな彼の元へやって来たのは、鴻門の女将。手には伝票。

「な、どーゆぅこった?!」
「後払い、と言う事になっておりますが、他のお客様は既にお帰りなられておりますので、すみませんが・・・・・」
「〜〜〜〜〜〜っざっけんなぁ!!!」

 怒りが頂点に達した范増は、思わず手に持っていたコンバット・マグナムのトリガーを引く。
 セーフティコックになっていた筈が、またしてもフルコックになっており実弾が飛ぶ。 
 見事命中した徳利は、陶器の割れる音と相まって粉々に砕け散る。
 ふぅっと溜息を吐きつつ、伝票に追加料金を書き込んだ女将曰く、

「その徳利及び割れた硝子、合わせて三十万円につき占めて会計67万8,902円也」

 ずぃっと突き出された伝票を見て、范増は終始無言。
 隙をついて逃げようとまでもしたが・・・・。
 翌朝、項羽・范増共々朝帰りであったが、なにやらさっぱりしている項羽と違い、范増は骨の髄までボロボロだったと言う。


-------- 後日。
「そーいえば、僕等、項くん達にさよならの挨拶をしてくるのを忘れてしまったねぇ?失礼な事をしてしまったかなぁ」
「項羽さんにはあの後キチンと御礼も挨拶もしたでしょう?范増は二次会にいなかったので出来ていませんが。 それよりも、です。劉邦さん。貴方は頭脳は明晰ですが鈍感ですからね、気付いていらっしゃらないかも知れませんが、范増はずっと貴方を殺そうとしていたんですよ。そんな相手に挨拶など無用ですよ。貴方と貴方の部下の命が惜しいなら、礼儀なんてかなぐり捨てて下さいね!あの場所で我々は、いわばまな板の鯉状態だったんですから」
「可哀想な劉邦さん・・・(泣)仲間にまでお命を狙われてっ。貴方は俺が必ずお守り致しますからねっ!」
「そりゃ心強いねぇ。でも項くんはそんな事しないよ。僕は解らないけどね☆」

 菩薩笑顔でさらりと宣った劉邦が、数年後「楚王」を完膚無きまでに叩き潰したのは言うまでもない。

                                                                  Fin.





なんか、改めて載せてみるとえらく長いな・・・(汗)
この頃はまだ青かった、とだけ言っておきましょーか・・・