「ザ・ビショップ・・・・我らをお救いください、ザ・ビショップ!!」
胸の前で手を組む者、地に両手をついて見上げる者。
彼れを見つめながら、微笑を湛えて何かを渡す。
それを手に握り込んだのを目にすると、両手を掲げて高らかに言い放つ。
「捧げなさい。汝の清らかなる鮮血を、我らが主に捧げるのです!」
言い終わらぬ内に、まるでそれが当然であるかのように、彼らは銃口を突きつけた。
-------ズキューン!
彼らは救いを求めた訳ではない。ただこの引き金を引く理由が欲しかったのだ。
もう動かぬ者達を見つめながら、薄い微笑みを消した。
「なんと心苦しい・・・。天にまします我らが父よ、哀れなポーンをお救いください・・・・」
「ビショップ!貴様、またポーンを見殺しにしたな!?」
強い口調で言い切った者の逆鱗に、彼は何度触れてきただろう。
その度に捕らえられ、傷つけられ、辱められる。
それでも屈服したことは一度もない。唯一残された自分が屈服してしまえば、もう元には戻れなくなる。
「見殺しなど・・・私は彼らに救いの手を差し伸べたまで。その手を取ったのは彼ら自身ですよ、キング」
毅然とした態度で返す彼の頬を、乾いた音をさせて何かが打った。
「貴方に発言の権利を与えた覚えはありません。口を慎みなさい」
上座に座る彼女は、感情を見せないかのように扇で口元を押させていた。
と言うよりも、目の前に汚い物でもあるかのような、蔑みの目を向ける。
「笑わせるでない。聖職者でありながら死へ導くとは・・・・貴様の役目は現世(エデン)への反抗を説くことであろう?ポーンを無駄死にさせることではない!」
「無駄死になどさせているつもりはありません!私はその者に見合った救いを施しているだけです!彼らが魂の解放を望むならば、私は・・・」
「ビショップに罪状を言い渡す!監禁並びに断食を行使し、拷掠(こうりょう)によって志を改めよ。ナイトよ、この者を城(ルーク)の外へ!」
聞く耳も持たず命を下し、興奮のあまり立ち上がる。
それに詰め寄ろうとして、だがそれは、自由を奪われた体では出来なかった。
「キング、ご無礼は承知しております!ですがどうかお話を・・・キング!
クイーン、私の言葉をどうか・・・・キング、キングーーーーーーーー!」
彼の悲痛な慟哭は、上座へ届くには弱すぎた。
無力な彼は、武力として鍛えられた者達に連れていかれるしかなかった。
暗く寒い地下牢の中で、彼は静かに項垂れている。
後ろ手に縛られていては、動くことは困難だった。
「まぁーたキングに楯突いたんだって?やめときゃいいのに、幾らお前でもその内死ぬぞ?」
彼の息使いさえ消えてしまいそうな部屋に響き渡る、少し高めの靴音。
そうして現れた男は、彼とほぼ同じ姿をしていた。
唯一違う点は、衣装の色が対照色と言うことか。
「捨てちまえよ、理想なんか。この世界でお前一人に何が出来る?救いを施したところで、天国(ヘブン)へ行けるポーンばかりじゃない。またここへ戻ってくる者の方が多いんだぞ?その度にキングの反感を買って、そんなのただの無駄骨だ。 なら、さっさと忠誠を誓い、キングに気に入られた方が利口・・・・」
それまで力無く無言だった彼も、次の瞬間牙をむく。
「自分が生きながらえる為にポーンを見殺しにしろと言うのか?!そんな事、私には出来ないっ」
「熱くなるなよ。冗談だ。お前の『理想』は俺が一番良く知ってる」
「冗談でも私の前でそんな事を言うのは許さない。何度同じ目にあっても、私はこの体を黒く染め上げることはしないっ」
黒い衣装は忠誠の証。
それだけは絶対に身に着けないと心に刻んだ。
どんなに憎くても、同じ道は辿らないと。
「・・・何故お前は闇を受け入れない?この世界に堕ちてきたというのに、その胸の中に現世(エデン)への憎しみはないのか」
「無いわけじゃ・・・ない。ただ無意味だと思うだけだ。現世への反旗を翻す。それは血で血を洗う闘いだ。憎しみは憎しみを生むだけで何の解決にもならない。傷つく者が増えるだけなのに、そんな事をして一体何になる?」
彼の言葉は闇に消えていく。
此処にいる限り、誰の言葉も力など持たないのだ。
ただ一人を除いては。
それでも叫ばずにはいられない。
この世界は狂っている、と。
「・・・・・お前の言っていることは、間違いじゃない。だが結局人間なんて自分が一番可愛いんだ。本当に決断を迫られりゃ、厭でもスケープゴートは厭わねぇんだ。・・・・俺のように」
黒い聖職着を翻し、男は元来た道を戻っていく。
「ポーンは次から次へと堕ちてくる。一人や二人救えたところで、どうにかなるもんじゃない。それでもお前は」
「それでも、この世界を壊してみせるっ。絶対に、総てを終わらせ無に帰すように・・・・」
足を止め、そう問いかける者の言葉を、彼は引き継いだ。
男は上座を前にしていた。同じ姿でも彼ではない。
漆黒のローブはランプに照らされ艶めいている。
「もう一人のビショップはどうしたのだ。何故ここへ来ぬ?」
玉座の肘掛けを打ち据えながら、闇の男へ吼える。
「ナイトよ、彼奴(きゃつ)をこの場へ連れてくるのだ。抵抗するようなら、血を見せても構わぬ!」
「お待ち下さい、キング!・・・先に拷掠を受けた時の傷が、未だ癒えておらぬのです。ですからルークの中へは入れませんでした。クイーンは、血が滴るような光景はお嫌いでしょうから。それに、どうせこの場にいたとしても、あなた方は彼を亡き者とするのでしょう?わざわざナイトの手を煩わせることもない」
使者を仕向けて彼を引きずり出そうとした者を、男は牽制した。
それを鼻で笑って打ち返す。
「生緩い。だから連れてくるのではないか。蔑み、苦しめ、謗(そし)ることで、あれの中に眠る憎しみの炎をを目覚めさせる。されば、奴は最強のノスフェラトゥになるだろう。我らに勝利を導くに違いない!!」
「そこでビショップ。貴方にその兵器の完成を命じます。どのような手を使っても構いません。よろしいですね?」
「・・・・・・・それは私(わたくし)に、彼の傷口を抉り、貶めろとおっしゃるのですか?」
「そんなことは言っておらぬだろう?彼奴を兵器として育て上げろ、と言うておるのだ。簡単なことではないか。のう、ビショップ?我が命(めい)だ。嫌とは言えぬだろう?アレの完成は近い。お前の腕に総て掛かっているのだ」
男は一瞬たじろいだ。
信じられない。
自分の復讐を果たす為には、同じく堕とされた者の傷まで抉るのか。
私利私欲の為に、他人を貶めることも厭わない。
これでは現世と何も変わらない。同じ事を繰り返すだけだ。
「・・・・私(わたくし)はキングの所存に従うのみ。その命、謹んでお受けいたします」
それでも、一度誓った忠誠は、覆すことを許されない。
それがこの世界の理。忠誠がこの世の総て。
項垂れたように跪く男を、上から見下げて酷薄な笑みを浮かべる。
「聞け、ポーンよ!時は満ちる。今こそ自らの憎しみを解き放ち、報復を果たすのだ!汚らわしい人間共を血祭りにあげよ!!」
「今ここに、キングへの忠誠を刻み、その身にマナを受け入れなさい!」
玉座から振り下ろされた軍令に、何万もの歓声が轟き響く。
その轟音は、男の胸を張り裂いた。
気が付くと飲み込まれている。
ドロドロとした感覚、自由も利かず息も出来ない。まさに泥沼。
抜け出せない永遠の闇。
「お父さん、ごめんなさい!何でもするよ、良い子でいるから、もう殴らな・・・・!
お義母さん、助けてっ!お義母さん?!ヒッ、やだぁぁぁぁっ!!
・・・・ゲホッ、ゴホッ・・・・・!う、うぇっ・・・。お・・・父さ・・・ん・・・・。ごめ・・・なさい、もう何も・・・・・・・!?
なに?何するの?お父さん、それ、や、やだ!いや、やぁ!!ぃあああぁぁぁあぁあぁあぁあっ!!」
血塗られた扉は開いた。
扉の鍵は床に落ちていた灰皿。鍵穴は自身の頭部。
それがピタリと合わさったとき、ゆっくりと堕ちて逝く-------
「ザ・ビショップ!」
ビクンと体を震わせて、現実へと引き戻される。
振り向くと、相手は何時も通りの口上を述べた。
「新たなポーンをお連れしましたが、ご気分が優れぬようでしたら、もうお一方の方へお回ししますが」
「構いません。少しばかりうとうとしていただけです。・・・・では、そこに並ばせて。貴方は下がりなさい」
引き連れた者を整列させると、一礼して去っていく。
無表情で立ち尽くす者達に、彼は声を掛けていった。
「・・・・・ようこそ、我らが王国ノデへ。ここはエデンから堕ちてきた者が集う場所。私は司祭(ビショップ)ブラン。今から私はあなた方と少々の問答を行いたいと思いますが、その前に何か質問はおありですか?」
「望みます。エデンとは一体何のことですか?僕たちはどうなったのですか?」
感情のない濁った瞳で、彼らはそこに立ち尽くしている。
だが一人だけ、白い衣を纏った者がいた。
その両の目は、未だ光を失ってはいない。
「エデンとは即ち現世のこと。何らかの理由を胸に抱えて命を落とした者は、死後の行き先が変わるのですよ。現世の東、つまり果てであるこの地へ辿り着いた君には、その理由がお解り頂けている筈ですが?」
「理由?そんなもの覚えていませんよ。気付いたら僕はこの人達と一緒に此処にいたんです。大体、命を落としたですって?じゃあ僕は死んでいるって事なんですかっ?」
「・・・・・珍しいですね。では、君は此処へ来るための扉の、鍵も鍵穴もご存じではないと?」
「何です、それ?鍵なんて持っていません。突然、見知らぬ男が走り寄ってきたと思ったら、此処にいたんですよ!まさか何かの冗談ですか?みんなして僕をからかっているとか、そんな程度の事なら警察に訴えますよ!?
僕はすぐに家に帰らなきゃいけないんだ!」
「・・・・・・アァメン。哀れなポーンよ、すぐに教会(シナゴーグ)へ行きなさい。もう一人の司祭が、きっと導いてくれるでしょう。ナイトよ、この者を教会へ!」
どうかもう惑うことの無いように。
あの無垢である魂が、この闇に囚われぬよう、彼は祈りを込めて十字を切った。
「どうやら、彼はあなた方の闇に引きずり込まれたようですね。よほどの闇の強さとお見受けしましょう。さて、他に質問は終わりですか?無いようならば始めましょう。君の扉は、どうやって開きましたか?」
暗い闇の中、彼は一人ずつその答えを求めていく。
「私は、自分で扉を開きました。鍵は自分自身、鍵穴は校庭でした」
「何が、理由ですか?」
「殺されたんです。クラスの中から、存在を消されました。だから本当に消えてやろうと決めて」
「・・・・そうですか。では、君は?」
「右に同じく。鍵は拳銃、鍵穴は自分の頭」
「何が、理由ですか?」
「填められたんだ。関係のない罪を着せられ、あっさり切り捨てられた。あのままいても現世(エデン)では無力だ、何もできない。だから引き金を引いた」
「・・・・そうですか」
そう彼は、一人一人に同じ事を繰り返し、そしてまた、彼らも同じように返していった。
それは永遠の時間のように続いたが、最後の一人になった時、卒然途切れた。
彼はゆっくりと、その者を眺め渡す。両目を覆う布が、目を引いた。
「君は、人間ではないでしょう?」
瞬時にざわめく周囲とは対照的に、小さく首肯だけをする。
「君は、どうして此処に来たのですか?」
「・・・・自由に、生きてたのに、捕まって、目が見えなくなって、ズタズタに、切り裂かれて・・・・!」
「他にも、君のような子が・・・・?」
「沢山、いて、沢山、死んだ。この中に、沢山、いる」
ぎゅっと胸元を握りしめ、低く唸るように口にする。
他人に奪われた存在意義。
此処にあるのはもう、自分の体ではない。
「それでも、憎い相手と同じ姿になってまでも?」
「力が、欲しい。あいつと、同じ力」
「キングの元へ、行きなさい。私では、君をどうしてあげることも出来ない・・・・・!」
悔しい。自分には、彼らを救ってやるだけの力がない。
この世界を壊さない限り、救いの手すら意味を成さない。
例え救いを与えても、彼らの魂は何度でも回帰し続けるだろう。
あまりにも強くなり過ぎた、邪心の鎖は破綻を知らない。
「・・・憎しみに駆られては、いけませんよ。貴方達の気持ちはよく解る、
だからこそ闇に染まってほしくはないのです。此処で引き返せるのなら、どうか彼のように・・・」
願いだった。本当に痛切な、誰にでも届いて欲しい。
今を生きる者達にも、堕ちてしまった自分達にも。
だが、それが解らぬほど愚かでもなく、又それが出来るほど心穏やかにはいられないのだ。
“エデンの果て(ノデ)”に堕ちることは、報復を誓う者の証。
「貴方はそう言うけれど、どうして私たちばかり痛い思いをしなければならないの?我慢を強いられるの?」
「僕たちにも、存在を主張する権利はあるというのに」
「妥協なんか、許すことなんか出来ない」
「心を闇に開かなければ、力は手に入らない。だから」
「堕ちてきた。奴らに同じ思いをさせてやる!」
彼らの思いが、解らない訳じゃない。
寧ろ、解りすぎて痛かった。自分も同じ思いを抱えているから。
この世界(ノデ)には、そういう者ばかりが堕ちてくる。
「中途半端な言葉は、ポーンを逆撫でするだけだ」
「・・・ビショップ!君のシナゴーグ(元)へ送った者は、どうした!?」
「まだ此処(ノデ)にいるぜ。お前の返答次第で、奴の対処は変わってくるんだ、ザ・ビショップ、聖ブランさんよ」
「ビショップ!私はその名を好かないと・・・・・!」
「ビショップなんて方が俺は好かんな。折角名前があるんだ。こういう時に使わなくてどうする? だが、それよりも、だ。明日、最後の闇(マナ)をポーンに与える。そうすれば完全なる“不死なる者(ノスフェラトゥ)”になり、もう取り返しはつかない」
「なっ!?貴様、まさかキングの言いなりに!?」
両肩を掴んで揺さぶる彼を、男は深い溜息と共に落ち着かせる。
「言っただろう。俺は忠誠を誓った、違えることは出来ない。まぁ、いい。よく聞け、ブラン。666の獣を揃えるにはあと一人足りない。その一人にお前がなるか?それとも」
「巫山戯るなっ!!私の理想を知っていてまだ言うかっ!?」
「お前が入らないと言うならシナゴーグにいる者を使う。奴なら救ってやればまだ天国(ヘブン)に戻れるだろう。それを見殺しにするのか?」
「っ!? ノワール、貴様ぁ・・・・・っ!!」
怒りの余り怒号すら出てこない。
-------ガッ!
気が付くと、彼は男を殴りつけていた。
ズザッ!と音を立てて後方へ飛んでいく。
そのまま暫く大の字転がっていたのだが・・・・突然、男は声を上げて笑い出した。
作ったものではなく、本当に心から、楽しくて仕方ないように。
訳が解らず、彼は微動だにも出来ない。
「お前に殴られるとはな、夢にも思わなかったぞ。ブラン、お前、此処から逃げろ。現世(エデン)へ戻れ」
立ち上がり踏ん切りが付いたように、男は口にした。
理解不能な言動をする相手に、思わず目を瞬かせてしまう。
「何を莫迦な・・・逃げられる訳ないだろう?エデンの果て(ノデ)まで堕ちてきた者が生き返るなんて・・・・。もし逃げられたとしても、向こうに体なんか・・・・」
「あるんだよ。お前の場合、体はまだ生きてる。意識だけがこっちに堕ちてきちまったんだ。その証拠に、未だにキングの支配下に置かれていない」
彼の衣装を指し示しながら、男は腕を掴み取る。
相手の言っている事が解らない。
確かに自分だけはこの世界に来た時に白い服を着ていた。他の者は皆一様に黒だったというのに。
だがそれだけだ。現世に体があるという証拠には到底ならない。
それでも男はお構いなしだ。両肩を掴んで後ろを向かせ、言う。
「このまま真っ直ぐ西へ行け。どんなに遠くても必ず扉がある。今のままのお前なら、開けられる筈だ」
「ちょ、一寸待ってくれ!そんな事を急に言われても、ハイそうですか、なんて頷ける訳ないだろ?もっと詳しく説明してくれないと・・・・」
「詳しく話してる時間がないから、今こうして言いに来たんだろうが!」
狼狽する彼を向き直し、激しく怒叱する。
その勢いに、一瞬蹴落とされるかと思った。
「シナゴーグの奴は諦めろ。お前は何が何でも戻るんだ。もしお前がノスフェラトゥになる事を拒むなら、首を取れとキングは言っているっ」
「ならば私が・・・・」
「だが、もし!お前が666へ入ったなら『七つの大罪』が完成する。そうなったら本当に、もう誰にも止められなくなるんだ。現世は倒壊する」
そうならないために戻るんだ、と。
男は言い聞かせるように瞳を覗き込んでくる。
切実だった。男の声も、目も、肩を掴む手の力も、全てが。
「私が戻ったからと言って、現世を守れるかどうかは定かじゃ・・・ない」
「お前なら出来る。いや、お前じゃなければ出来ないんだ。この世界の存在を知っている、お前じゃなければ・・・・」
一度手に力を込めると、男はようやく肩を放した。
ゆっくりと、後ずさっていく。
「行って・・・・くれないのか」
あれ程望んでいたのに。
この世界を壊すチャンスを、現世を守る方法を。
それなのに、体が動かない。
「解らない、んだ。何も考えられない。自分がどうしたいのか、すら」
無意識下で言ってしまった言葉に、男は打ち拉がれたようだった。
自分なら迷わず行ってくれるだろう、そう信じていたのに。
男の顔は、哀しげに微笑んだ。
「なら、いい。無理強いはしない。俺はお前に、任せるよ」
そう言って、男は去っていく。
その背中は何処か寂しげだった。
走り去りたかった。こんな所、逃げられるなら今すぐにでも。
だがそう思う度に、誰かが叫んだ。
本当にそれで良いのかと。
自分はノデへ堕ちてきた。憎む心も内(なか)にある。
そして逃れられない真実も。
それが足を留めた。
男は体は存在すると言った。今も生きていると口にした。
だが、居場所は?
だが、居場所は?体に戻った後、自分は何処にいればいい?例え居場所があったとしても、其処には何がある?
自分の存在が認められなければ、また同じ事を繰り返してしまう。
逃げたところで罪は消えない。現世に戻れば、それは一生背負わなければ。自分に耐えられるのか?
ならば此処で化け物と成り果てて、憎しみをぶつけてしまえば、どれ程楽だろう。
生を受け入れ、苦しむ必要が何処にある?
現世は自分をこの地へ堕としたのだ。怨みはあっても未練などない。
壊してしまえばいい。世界さえ壊してしまえば、罪は消える。総て、消える!
陥れた者達に、罪の贖いを!
『自分が一番可愛いんだ。スケープゴートは厭わねぇさ』
スケープゴート、贖罪の山羊。
自分の身を守る為に、身代わりにする者。
身代わり、そう見殺しにする者。
自分の犯した罪の代わりに、関係のない人間を差し出す。
そんな事までして、自分は何を得る?
世界が消えれば罪も消える。だが世界は、どの世界なんだ?
天国(ヘブン)か現世(エデン)か地獄(ノデ)か。
自分が本当に消してしまいたいのは、一体----------
玉座は言った。
『お前は本当に強い』
そして私に与えた。
『ビショップの称号を』
強ければ地位を与えられた。
強さとは何だ?何で決まる?
『憎しみや怨みの強さ。そして現世で犯した罪の大きさ』
問うた私の言葉に、彼はそう返した。
貴方の怨みの強さは、どれ程なんだ?
『我は無限に広がる闇そのもの。贄(ポーン)がこの地へ堕ちる限り、我が力は決して消えはしない』
私は貴方の力の糧。そう言うのか。
『忠誠を誓え。七つの大罪を完成させるのだ。
キングに傲慢(ルシファー)、クイーンに強欲(マモン)、ビショップ二人に好色(アスモダイ)と憤怒(サタン)を、
ナイト二人に大食(ベルゼブブ)と嫉妬(リヴァイアサン)を負わせ、ルークに怠惰(ベルフェゴール)を!』
私は貴方の物にはならない。
この体を、黒く染め上げる事などしない!
最後の審判を下す為、彼は玉座を前にした。
「ビショップよ、マナを受け入れる覚悟は出来たのか?」
「貴方なら当然でしょう?救える者を見殺しなど出来ないんですもの」
「勿論です。キング、クイーン、私は誰も犠牲になどしません」
彼の答えに、後ろの化け物(ノスフェラトゥ)は歓喜にざわめき立つ。
「憤怒(サタン)の名を受け継ぐ者よ。キングの名の下に闇(マナ)を受け入れ、忠誠の漆黒を纏え!」
何処か哀しげな瞳で、男は闇の誘(いざな)いを響かせた。
瞬間、目の前に黒い球体が現れる。
両手で包めるほどの大きさのそれを、
「喰え。ノスフェラトゥになる覚悟があるなら、貪り尽くせ」
男の声は小さく、だがはっきりと耳に届いた。
彼は球体を握り締める。
少しずつ自分の元へ引き寄せながら、口を開き、そして---------
-------ズキュンッ!
一発の銃声が響いた。
それは一瞬間だけ静寂を呼び、そして再び唸りをあげる。
何度も、何度も。全て叩き込むかのように、撃ち鳴らされる破裂音。
初弾以外、軌跡は尽く玉座へ向かった。
弾倉(マガジン)の弾を使い切り、息を切らせて取り替える。
そんな直後だった。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
それは声ではなかった。音でもない、直接頭に響いてくる咆哮。
押し潰され、粉々に砕かれるような圧迫。立っていられない。
彼は頽れ、頭を抱えて蹲る。
声を上げているのに、それさえ咆哮に消されていく。
頭が割れる、耳が痛い、この叫びを消してくれ!
「っこの莫迦野郎がっ!」
鮮明な声と同時に、腹部に鈍痛が走る。
息が出来ない。
「な・・・にを・・・?」
「それはこっちの科白だ!何の為に俺がお前を逃がそうとしたと思ってるっ?こんな事にならない為に、俺は!」
荒く体を揺さぶられるが、彼はされるがまま。
痛みが消えた。圧迫感がない。
打たれた頬を押さえて、彼は視線を向けた。
庇うように覗き込む男の向こうに、のたうち回る支配者だったものが見えた。
人の形を、留めていなかった。
「どうしてこんな事しようとした?えぇ、おい?!答えろよ、ブラン!!」
「・・・・キングを、この世界を統べる者を消せば、罪は消える。だからっ」
「キングは消えない!お前にも言っただろう、奴は闇そのものだと。何処かの世界に光がある限り闇も生まれる。
覆すことは出来ないんだよ!解るだろう?人間(俺達)が生きている限り、闇(キング)は存在し続ける!」
彼が落とした銃を、男は掴み取った。
強引に、銃口を突きつけてくる。
「キングという世界の中心を失い掛けている今、闇を得る為ノスフェラトゥはすぐにでも現世に送り込まれるだろう。迷っている暇はない!」
男はトリガーを引いた。
ドスンと、体の中心から退き摺り込まれていく。
「ノワー、ル」
「これは賭だ。“救い”がお前を戻してくれるかもしれない。自分の蒔いた種だぜ、てめぇで刈り取るぐらいしろ。間違っても天国(ヘブン)なんて行くんじゃねぇ。足掻いてでも現世へ辿り着け」
意識の薄れていく彼へ、男は声をかけ続けた。
返事はもう、まばらにしか出来ない。
「向こうに着いたら、お前はノスフェラトゥを狩れ。さっきキングにした様に、銃弾を撃ち込めばいい。出来るだろう?」
「・・・・・・・ノワ」
「665匹だ。数が多い。化け物だが人の形をしている者もいるだろう。だが何処かに“しるし”がある筈だ。一人も逃すなよ?」
「・・・・・な・・・とか、する・・・・さ」
「心強い言葉を、どうも。ブラン、お前・・・みがある。現・・・に着い・・・・ら、俺の体・・・・い・・・・じめに殺し・・・・・-------」
男の声は、咆哮に掻き消えた。
意識は、泥沼のような暗黒に堕ちていく--------
彼は墓標の前に立っていた。
目が覚めてから、二週間が経とうとしている。
最新の医療設備とやらに囲まれ眠っていたらしい自分には、何時の間にか新しい両親が出来ていた。
過去の自分を哀れんで、だそうだ。
驚異的な回復力というものでリハビリを終え、退院し、そして家を出た。
今の自分に必要なものは、そんな生緩いものじゃない。
寧ろ今更だ。欲しいとも思わない。
だけど感謝はした。この体を残しておいてくれて、本当に感謝している。
そして必要な物も与えてくれた。
手に入れる為の条件は簡単だった。
『お父さん』『お母さん』と、一度だけ呼んで終わった。
自分の目的の為に彼らを犠牲にした、それはスケープゴートになるかもしれないが、闇を残すことはなかったと思う。
自分も彼らも、最後は笑っていたから。
其処まで考えて、彼はその思考を遮断した。
もう二度と脳裏に浮かぶ事はないだろう。
彼は墓標に刻まれた字を、読み上げる。
「ノワール・G・ヨナタン 此処に眠る」
簡素だった。とても小さく、隅の方に設えられた場所。
“男”は自分とよく似た立場だった。
長く眠っていたが、数年前、とうとう逝ってしまったらしい。
それは多分、男が忠誠を誓ってしまったからだろう。
魂は体へ戻らない、と。繋ぎ目は綻びるように。
「ビショップ、聖ノワール。告解を望みます」
彼は空へ向かって口を開いた。
司教はすぐ後ろで問う。
『名は?』
「ブラン・ダビデ」
『何をしたんだ?お前の犯した罪を言ってみろ』
「誰も知りません。ですが私は本当の両親を手に掛けました。眠るよりも以前、幾たびも打ち据えられた私は、死の恐怖に怖れ、彼らの血にこの手を染め、自らの命をも奪おうと・・・」
『お前の罪は、許される』
変わらぬお構いの無さで、笑いを滲ませ男は言った。
彼は微笑みを浮かべ、銃を取り出す。
撃ち入れた。この下に眠る男の元に、何十発と。
『お前に頼みがある。現世(エデン)に着いたら、俺の体を一番始めに殺してくれ』
唯一信じ、友と認めた者だから。
約束は、違えない。
その日、一番始めのノスフェラトゥが倒され、世界各地で奴らは報復を開始した。
恐怖(闇)が、広がっていく。
Fin.